北アルプス、飛騨山脈。飛鳥時代(A.D.700頃)。広大なブナの原生林にすでに匠はいた。斤が斧を意味するように、匠は本来、木工技術の職人に限られた言葉だった。西暦700年前後、毎年100名以上の匠たちが、飛鳥、奈良、京都に出向き、都の宮殿、寺社仏閣を造営したと言われている。それは12世紀まで続き、その後、匠の技は飛騨の地に根づき、継承されている。
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しかし、森は当時の森ではない。その多くは人の手によってつくられた森だ。人がつくった森は、人が離れると荒れる。飛騨の匠は森と共に在ることを知っていた。彼らにとって森は自分の分身だった。
朝の霧。昼の木漏れ日。そこにある無数の生命。 -
いま、匠はHIDAというブランドになった。木を見つめデザインし、技をみがく。彼らは柳宗理、エンツォ・マーリ、隈研吾の発想を家具という現実のものにした。
HIDAの家具は、その木が森にあった時間をこえる生命を持つ。匠はただその技術を受け継いできたのではない。新しくしてきたのだ。 -
飛騨産業株式会社は、飛騨の地に100年をこえる時を過ごしてきました。100年後もこの地で森を育て、森に育てられた匠として日々、木々と向かい合っていることでしょう。
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飛騨産業株式会社
1920年創業。
森のデザイン、都市には森が必要だ。
TAKUMI, standing with the forest.