会長 × 社長 特別対談
飛騨高山を木工の聖地に
飛騨産業が見据えるこれからの100年
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代表取締役会長岡田贊三
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代表取締役社長岡田明子
創業100周年を迎えて
創業100周年という年に新型コロナウィルス感染症が拡大する事態となりました。
岡田贊三:コロナ禍をきっかけに、当たり前だと思っていたことが実はそうではないとわかり、否応なしにさまざまな見直しを図ることになりました。しかし、これを悲観的に受け止めるのではなく、むしろ逆手に取ってどうしていくべきかを考えていきたい。私はずっと「できない理由より、できる方法を考えようと言い続けてきたので、社員ともども発想を巡らせて取り組んでいます。
コーポレートアイデンティティの刷新や、社内ブランディング活動も行いました。
岡田贊三:私が飛騨産業に来てからの20年は、とにかく会社が生き残るための20年でした。なんとか人並みの会社に近づくことができたので、これからは会社としての価値や文化をきちんと見据えて、次の100年に向かって確固たる礎を作っていきたいと考えています。
もともと当社では1300年以上続く飛騨の匠の歴史を踏まえ、高い技術力や顧客志向を大切にしてきました。会社の規模が大きくなり、時代も変わってさまざまな考え方が出てくるなかで、改めて飛騨産業の原点を明確にして、私たちの存在理由を発信していく必要があります。
そのための活動として、次世代の飛騨産業を担う岡田明子社長を中心に、「志」と「4つの価値観」を策定しました。
4の価値観「人を想う 時を継ぐ 技を磨く 森と歩む」
岡田明子:近い将来に経営体制が変わる前に、まずは私の言葉でメッセージを発信したいと考え、社内での対話を重ねながらブランディング活動を行っていきました。会社の戦略やイメージを大きく変えることが目的ではありません。これまで飛騨産業が取り組んできたことや作ってきたものを整理して、わかりやすく具体的な言葉として社内外に伝えていくためのブランディングです。
岡田贊三:「志」と「4つの価値観」を見た時に、心から「まったくその通りだ!」と思いました。私が20年やってきた想いがそのまま表現されている。いえ、その想い以上です。とても嬉しかったです。
揺るぎなき、匠の末えいとしての誇り
コーポレートアイデンディティも刷新されました。「匠は森にいる。」というコーポレートメッセージの背景には、飛騨の匠の歴史があります。飛騨産業のルーツでもある飛騨の匠について、どのような想いがありますか。
岡田贊三:飛騨の匠は、1300年前の飛鳥時代から都で木工の高い技術を発揮し、そこから全国各地に請われて数多くの素晴らしい建造物や彫刻を手がけてきました。そのような特別な存在に対して、私たちはずっと尊敬の念を抱いてきたし、その歴史を受け継ぐ者としての誇りをもっています。
日本は、太古からものづくりが敬われてきた稀有な国です。木工に限らず、自動車や電化製品などあらゆる分野で、日本人は強い想いでものづくりに打ち込んできました。日本人はものづくりのDNAをもっている。その原点が、飛騨の匠ではないでしょうか。私たちは匠の技術力や精神性を引き継ぎ、次の世代に遺していかなければならないと思っています。
岡田明子:飛騨産業の工場では、作り手ひとりひとりがとても丁寧な仕事を心がけています。たとえまわりから「このひと手間を省けば効率化できるのに」と言われても、お客様のことを考えて真摯なものづくりを貫いています。飛騨の匠のDNA が受け継がれているのだなぁ、と思います。
岡田贊三:匠は作り手だけではありません。家具を作る職人はもちろんのこと、営業や技術研究などものづくりを支えるすべての人を含めて、飛騨産業は匠の集団であり、ひとつの大きな生命体だといえるでしょう。
世界中が憧れる木工の聖地に
その生命体が目指すのは「木工の聖地」。「飛騨を木工の聖地とする。」という志について、どのようなイメージをもっていますか。
岡田明子:木工の聖地。その意味は、私たちが飛騨高山の代表だという気概をもち、世界中の人々が木工に憧れてやってくるような環境を作っていきたいということです。1300年以上続く匠の歴史、豊かな森と水、そして真摯にものごとを探究する人々の気質。伝統を大切にしながら、外から新しいことも取り入れようとする風土がある。ここには聖地となり得る力があると信じています。
岡田贊三:飛騨高山は、建造物や家具、高山祭の山車まで、木工の文化が染みわたっている特別な地ですよね。自分たちだけがそう思っているのではなく、当社を訪れて「世界で初めて本当の家具メーカーを見つけた」と言ってくれたイタリアのエンツォ・マーリさんをはじめ、世界中の著名デザイナーたちがこの地に感動し、職人の姿勢や技術に対して尊敬の念を抱いてくれている。そのことは私たちの大きな自信になっています。その感動を広げていって、デザイナーや木工を志す人はもちろん、多くの人々が「一度は訪れて、最高の木工技術に触れたい」と思うような地にしていきたいんです。
岡田明子:そのためのひとつの形として、工場周辺を体験型施設として開発するというアイデアもあります。市内にはさまざまな施設や工房が点在しているので、自治体や地元の企業、個人作家の皆さんたちとも連携しながら、木工の聖地としての魅力を発信していけたらと思います。
その志を実現するための「4つの価値観」については。
岡田明子:100周年に向けたブランディング活動の一環として、今の事業や取り組みを整理して、「飛騨産業はこういう会社である」という輪郭を言語化していきました。みんなで大切にしていることをどんどん話し合うなかで、「人を想う」「時を継ぐ」「技を磨く」「森と歩む」という4つの言葉が浮かびあがってきたのです。
「木工の聖地」がやや抽象的な世界観であるのに対し、この4つの価値観はとても具体的です。それまで全体像が見えにくかった会社全体の姿に座標軸を与え、社外の皆さんにわかりやすく説明するためのキーワードであると同時に、社員がみずからの志を実現するために拠り所とする指針でもあります。
飛騨産業、次の100年に向けて
次世代にバトンタッチする今、どんな想いですか。
岡田贊三:私の生まれは荒物屋で、子供の頃から飛騨産業は地域が誇る会社でした。注文を受けた品をリヤカーに積んで運んでいく度に「大きな会社だなあ」と見上げていたものです。また祖父が創業に関わっていたので、親近感もありました。
30年ほど前に「社外監査役になってほしい」と言われた時は嬉しかったですよね。ただ、そこから10年の間に経営の状況がどんどん悪くなっていって、役員たちから「社長になって、最後の始末をしてくれ」と言われた。
最後の始末だなんて。本当にたまらなかったです。断るつもりで最後の会議に出ました。ところが、ある役員から「すべてを任せるから好きにしてくれ」と言われた時、なんだか嬉しくなって、気持ちが昂ったんです。断るつもりだったのに、思わず「やります!」と言ってしまって(笑)。
そこから再建するために、この20年、無我夢中で駆け抜けてきました。そしてようやく、水の底まで沈みかけていた会社が水面に顔を出した。私の役割はここまでです。ここから先、その形を整えていくのは次の世代の仕事。飛騨産業はこれからです。
次の100年についてどんなイメージをもっていますか。
岡田明子:100年後も世の中から必要とされる企業でありたいと思います。現在の事業の中心である家具の製造を続けていきながら、その大もとにある森林資源、これを人間の知恵と、技と、精神性をもって「ちゃんと使う」ということに取り組みたい。
今、世界的に木の文化が見直されたり、輸入木材が手に入りにくい状況があります。私たちは木と密接に関わる会社として、地球上の資源を賢く活用する方法を考え、実践し、持続的に循環していく社会の実現に貢献したいと考えています。もしかしたらその先には家具だけではなく、それを取り巻く環境まで手がける企業になっていくかもしれません。
岡田贊三:循環型社会という言葉には、ある程度自立できる地域作りをしたい、という思いもあります。今の時代、中央が主導しなければ動けないのではなく、エネルギーや食料も自ら調達して生きていけるような地域を目指すべき。そうした地域が全国各地で発展していけば日本はとても強い国になると思いますし、飛騨高山がひとつのお手本のようになれたらいいですよね。
実現するためには、ひとりや一社だけでは難しいかもしれません。でも強い志があれば、必要な人たちと出会うことができます。危機の時には強いリーダーシップが求められますが、今はみんなで対話をしながら作りあげていく時代。社員ひとりひとりが主役として力を発揮し、その力を合わせて実現していってほしいです。