第五回 特別な椅子

 令和三(二〇二一)年、一月。

 その日の朝、事務所に届いた大きなダンボールを開けたとたん、後藤工は随分と特別な空気があたりに広がるのを感じました。箱から取り出したのは一脚の椅子。それは、雑居ビルの一室にある、この仕事場に置いている家具や使っている道具のどれとも違う、あきらかに異質な存在感を放っていました。
「なんか、すごいな」
「うん」
 出勤してきた吉大毅もまた、すぐには言葉にできない気配に押されています。
 去年の秋、飛騨産業に注文した「第七號椅子」が、ようやく届いたのです。
 艶やかな闇をまとったような、黒い、漆塗りの椅子。座面には、未来から届けられたメッセージみたいな、はたまた太古の昔の謎かけのような、ファブリックが張ってあります。

 東京・南青山でデザインスタジオを営んでいる後藤と吉は、縁あって、飛騨産業のホームページのリニューアルを担当しています。やりとりを重ねるなかで、記念プロジェクトとしての「第七號椅子」の存在を知りました。
 百年前の、当時の技術を手さぐりで再現しながら、現代の椅子として開発するというこの試みは、話を聞いたときから興味を持っていました。最初はCGのイメージではありましたが、パソコンのモニター越しに「第七號椅子」を見たときに、後藤は自分のなかでいろんな想像が膨らんでテンションがぐっと上がるのを感じました。
 せっかく仕事で縁のできた飛騨産業の家具を、いずれ仕事場で使ってみたいと思っていたこともあり、所有するならこれだな、と迷わず心が決まりました。
 コロナ禍で高山に赴くこともままならなかった時期が続き、感染拡大がやや落ち着いたかに見えた昨年九月。後藤と吉は、仕事の打ち合わせで初めて高山に出向きました。そのとき、「第七號椅子」の試作品に対面しました。このとき見たのは、ナチュラル色と黒のウレタン塗装で仕上げたもので漆塗りではありませんでしたが、ここに至るまでに関わったたくさんの人たちの、熱いメッセージが伝わってきました。

 漆塗りの実物は、注文して手元に届いて初めて目にしました。箱から取り出して事務所のなかに置いてみると、試作で見ていたときとはまた違う、濃密な迫力があることに、あらためて驚きました。
「昔どこかで見たような懐かしい感じもするのに、じゃあ、同じようなものがあるかっていうと、今どこを探してもない。新しい存在感だなあ」
 吉も、腕組みしながら静かに興奮している様子です。
 最初は仕事をするときの椅子として使ってみようかと思いましたが、どうも落ち着かない。家庭で使う、職場で使う、といった目的が前提にあってつくられた椅子とはあきらかに違う。この「第七號椅子」の場合、存在することが目的、みたいな感じがするのです。
「椅子って普通はこちら側が選んで使うものだけど、この椅子は、使う人を椅子の側が選んでる感じがしますよね。そして、オレはまだ選ばれてないのか? みたいな気がしてくる」
 吉が漏らした心の声に、後藤も思わず相槌を打ちます。
 しばらくは、打ち合わせスペースに置いてみることにしました。
 それからというもの、やってくるお客さんたちが「この椅子、何ですか?」と必ず目をとめるので、そのたびに、そこにまつわる物語を話し、坐ってみてくださいとすすめてみます。すると「あ、坐り心地もいい」と、みんな意外そうに言うのです。
 すぐれた漆器がそうであるように、ハレの日の存在感がありつつも、日用品としての使い勝手のよさも兼ね備えている「第七號椅子」は、そういう椅子なんだなと後藤は思うようになりました。いまは事務所に置いて、眺めたり、時々座ったり、距離感を持ってこの椅子独特の特別な感じを味わっています。でもいつか、日常のなかで使ってみようと思う日がくるかもしれない。自分の気持ちの変化がどうやってもたらされるのか、それも楽しみです。

vol 5 01

 同じ頃、飛騨産業に一通のメールが届きました。「第七號椅子」を注文してくれた、最初のお客さんからです。
「椅子、届きました。ありがとうございます! ひと目惚れして欲しくなってしまい、値段も値段なので相当迷いましたが、親へのプレゼントという名目で購入いたしました。最初は父が、リビングでテレビを見るときに使うのがいいかなと思ったのですが、雑然としているわが家のリビングにはどうにも不釣り合いで、いま玄関に飾っています。地味だった玄関がパッと華やいで、毎日、仕事に出かけるとき、帰ってきたとき、眺めては気分がいいです。父は床の間みたいだなと言い、子どもたちは、ここだけ家じゃないみたいだ、とほめて(?)くれました。父だけでなく、家族みんなが気に入ってくれました。こんなに非日常感が似合う椅子、初めてです(笑)。孫子の代まで大事にします」
 メールと一緒に、玄関の白い壁の前に、大きな花瓶に生けたこぶしの花と一緒に並ぶ「第七號椅子」の写真が添付されていました。
 開発している最中はともかく必死の毎日だったけれど、開発に携わったそれぞれが、メールを読んであらためて、この椅子が特別な存在であることを実感しました。そして、どうやらお客さんのもとで喜ばれている様子に、ようやくほっとした気持ちになりました。
 そして百年前も、最初の「第七號椅子」を出荷したときは、こんな気持ちだったのかなあと想像してみます。

 大正一二(一九二三)年、五月。

「これで全部か?」
「おお、全部や。無事に着いてくれよ」
 パンパンと、荷馬車に向かって柏手を打つのは、半分冗談、半分本気。すべての製品の塗装を春慶塗に変えてからというもの、初出荷のときのような痛恨の失敗が起こることはなくなりましたが、それでも毎回、無事に着いて店先に並ぶまで気が気ではありません。
 今日は初めて、「第七號椅子」を出荷します。名古屋の住田商店に向かう荷のなかの五脚。わずか五脚ですが、注文があってよかったと白川政之助は思いました。既製品を手本につくっているほかの製品と違って、「第七號椅子」は工場のなかで独自に形を考えた最初の製品だったからです。ほかでは売っていない意匠の椅子、というところが吉と出るかどうか。初めてつくった紙一枚の型録に載せた、初めての自社オリジナル商品です。これからどんどん評判になって売れてくれ、と祈るような気持ちで荷物を見送りました。

「あの椅子、どんなとこで使われてるんかなあ」
 休憩時間にふと、森前廉爾は隣で煙草をふかしている横田米蔵に向かって、つぶやきました。横田は、信州でセメント樽をつくっていた経験を買われて、この春から入社してきました。
「七號椅子のことか? このあいだ、白川さんが住田商店から聞いた話だと、四脚はどこぞの店が買って、残る一脚は、お嬢さんの嫁入り道具にと、地元の名士が買ったそうな」
「嫁入り道具に椅子?」
「ミシンを踏むときの椅子にするんやて。ハイカラやな」
 このころから、国産のミシンが売り出されるようになっていましたが、一般家庭に普及していくのはまだまだ先の話で、嫁入り道具のひとつとしてミシンと椅子を買ったということにふたりとも驚いていました。そもそも家のなかで、椅子に坐ることなどほとんどない時代です。椅子は、学校か、町の食堂や床屋で坐るくらいのものでした。森前や横田も、会社で椅子をつくっていても、家に帰ればちゃぶ台でご飯を食べています。
 椅子は、誰にとっても特別なものでした。

vol 5 02

 そして「第七號椅子」が飛騨の地で誕生してしばらく経ったころ。東京の田端で、柚木沙弥郎が産声をあげました。令和の新生「第七號椅子」の、座面のファブリックをデザインした染色家です。
 御歳九八歳。いまも活動を続ける柚木さんは、終戦直後に岡山県の大原美術館に勤務していたとき芹沢銈介の作品に感銘を受けて、のちに弟子入り、染色家として歩み始めます。以来、七〇年あまり、精力的に作品を発表してきました。
 数年前に、飛騨産業から柚木さんに、百周年のためのオリジナルファブリックのデザインを依頼しました。果たしてできあがってきたデザインは、大きな紙に描かれた、抽象絵画のようでした。そして「第七號椅子」の座面の張り地にも、それを使うことになりました。座を丸い額縁に見立てて、原画がきれいに収まるように縮尺を変え、専用ファブリックとしました。名前は「ダンラン」。座面を上から見たときに、それぞれが集まって楽しそうに団欒しているかのようにみえたからです。
 このファブリックを張った試作品を見たときに、デザイン室の小平は、「第七號椅子」は単なる復刻のためではなく、あらたに百一年目を踏み出すためによみがえったんだと実感しました。

 春慶塗の曲木椅子は、のちに化学塗料が登場して工業製品として安定した塗装ができるようになるまでの、創業期のわずかな時代にのみ製造しました。しかもそのなかの「第七號椅子」は、初期のカタログに掲載されて以降、姿を消しており、本当のところ、どれくらい製造したのか売れたのか、確かな記録は残っていません。試作品も含め、当時の現物も残っていません。
 けれど、デザインという言葉もなかった時代に誕生した、オリジナルな椅子であることは確かです。曲木の椅子という未知の文化を自分たちのものにしていくために、先人がたどった道のりは決して平坦ではなかったけれど、そこに大きな希望を託し、つくる喜びや楽しみを持って挑んでいたこともまた、この椅子は伝えてくれます。
 そして今回の復刻プロジェクトを通して、わたしたちもまた、いまはもう使われることのなくなっていた、一本のブナの木を環に曲げる「環状曲木」という技術と格闘しました。椅子に漆を塗ることの意味を、あらためて考えました。それは先人の苦労をなぞるためではなく、これからの時代の家具のありかたを考えるために。
 「第七號椅子」がつないでくれたもの、それは未知の世界だけが持っている希望です。
 百年前はちょうど、世界中で猛威をふるったスペイン風邪が収束しはじめた時代です。はからずも、コロナ禍のいまと歴史は繰り返しているかのように思えます。けれど、それは繰り返しではなく、未来はいつだって未知のものであり、そこには不安もあるけれど、それ以上に希望を託すこともできる。未来はわたしたちの今日がつくっていくものだと、百年の日々が教えてくれます。
 先人に思いを馳せることから始まったこの椅子が、また次の百年に向けて、誰かの人生を静かに見守るよきパートナーであってくれたらと願っています。

(おしまい)

vol 5 03
復刻版 第七號椅子