飛騨産業の本社敷地内の一角に、木造の小屋がある。深みのある茶色を帯びた杉板の壁には、「修理工房」と書かれた手作りの看板。中に入ると、しんと静かな空間に、たくさんの木工機械が肩を寄せ合うように並んでいる。
壁面にも工具や家具の部品がずらり。そこへ、在籍46年のベテラン木工職人、阿多野弘ニが休憩から戻ってきた。使い慣れた機械のスイッチを入れると、モーター音が唸りをあげて小屋の静寂を破る。
通路には、古い椅子がたくさん置かれている。1969年発売のロングセラーシリーズ「穂高」のアームチェアや、現在は生産されていない食堂椅子。1973年入社の阿多野にとって“同期”のような存在だ。
さまざまな家や店で活躍してきたのだろう。座面が割れたり、脚の部品が外れたりして、修理のために古巣に戻ってきた。椅子たちは、名医の診察を待つように行儀良く並び、作業の準備を進める阿多野の背中を見守っている。
「木が痩せて割れたりするんだけど、1カ所割れていたら他のところも割れますから、こうやってハンマーでポーンと叩いてみるんです」。阿多野はその音を聞き分け、内側に潜んでいるヒビを見抜く。接着剤や塗料も、昔と今ではまったく違う。できるだけ元通りに仕上がるように、阿多野らベテラン職人たちは豊富な経験を頼りに知恵をしぼる。
一方で、「キズや、子どもが貼ったシールは残してほしい」という依頼も多いとか。「職人としては手をかけて全部きれいにしたいけれど、やりすぎて『前と違う』とがっかりされてもあかんし。難しいところだけど、家具の味わいと思い出は残す。それが基本方針です」。
棚から一冊のファイルを取り出して、見せてくれた。そこには修理の依頼者から届いた感謝の手紙がぎっしり。「亡くなった祖母が大好きだったロッキングチェアを直してくれてありがとう」「これからも大切に使い続けます」「ますます飛騨産業のファンになりました」。
それらを眺めながら、「何度読んでも嬉しいね」と阿多野は目を細める。「修理って大変だし、毎日勝負している感覚だけど、家具と長いおつきあいをしてほしいわけ。だから、手紙を読むとやっていて良かったなと思います」。