森と歩む

自然とのつきあい方は、永遠のテーマ。

東京から高山へは列車で約4時間、車で約5時間。列車であれば新幹線で名古屋まで行き、特急に乗り換える。しばらく田園を進み、いつしか列車は山に入る。いくつものトンネルと橋を越えた先に、やがて飛騨地方の盆地が現れる。

車であれば中央道・長野道で松本までひた走り、国道158線では上高地までの曲がりくねった道を行く。長い安房トンネルを抜けてしばらくすると、槍ヶ岳や奥穂高など3000メートル級の高峰が連なる北アルプスの風景が目の前に迫ってくる。終盤の長い下りの坂道は少しずつ視界が開け、峠を越えた安堵と共に人里の温かみに迎えられる。

どのルートから向かうとしても飛騨高山への道のりは険しい。人間を簡単には寄せつけない山々に守られた地であることを実感させられる。

森林資源を
有効に活用したい

飛騨高山の「山々」。一般的には、この緑深い風景を俯瞰してそう呼ぶかもしれないが、この地を拠点に活動する飛騨産業はもう少し焦点を絞って「森」と呼び、「森と歩む」と謳う。

森とは文字通り、木の集まりである。山の頂きに目を凝らせば、枝葉を広げた広葉樹が一本、風を受けてそよいでいる。その隣も、そのまた隣にも。個性の異なる木が集まって森は成り立っているのだ。飛騨産業は木の家具を作る会社として、一本の木と共に、そしてその木々が育つ森と共に歩んでいきたいと考えている。

専務の本母雅博は、一枚の絵を示してこう説明する。「古くから日本人は森に入り、伐った木を熱源や建材として活用してきました。ところが化石燃料などに代わり、森は放置されてしまいました。人との接点がなくなり、手入れされなくなった森は土砂流出や環境劣化を引き起こします。私たちは木を扱う会社として、もっと森林資源を有効に活用し、人々の生活に役立てたいと考えています」。

森林資源の有効活用とは、一本の木を余すところなく使い切ること。森から木を伐り出して家具を作る。その過程で出た廃材をボイラーの燃料として使い、樹液を蒸留させて精油や農業資材にする。伐った分は、きちんと苗木を育てて、森に還す。

「森が健全な循環をたどることで、かつてのように、人と森が共に歩む世界観を取り戻す。それこそが、今の飛騨産業がさまざまな活動を通して取り組んでいることなのです」と、本母は力を込めて語る。

節や枝もムダにしない

飛騨産業が目指す循環を象徴する取り組みのひとつが、未利用材の活用だ。例えば、「見た目が悪いから家具には使えない」とはじかれる木の節。その常識を破り、あえて節を主役にした「森のことば」は、2002年の発表当時、業界に驚きを与えた。

アイデアだけで製品化はできない。「森のことば」の開発を担当した曲木職人は、過去にさまざまな木材を曲げてきた経験と知恵を生かし、節のある材料もなんとか曲げることができた。本母は、「先人による技術研究の蓄積があり、それを受け継いできたからこそ成功したのです」と振り返る。同シリーズは今や、飛騨産業を代表する人気商品だ。

枝もまた、注目すべき未利用材である。笠木に枝をあしらった「kinoe」は、自然の造形美を楽しめる家具。個体差のある枝を選別して加工するのは飛騨産業だが、材料の枝を集めるのは、高山市で自然エネルギー利用を促進するNPO法人「活 エネルギーアカデミー」。地域住民が中心となって荒廃する里山を手入れしており、間伐の際に出た枝葉を飛騨産業に届けてくれる。

「私たちの取り組みが継続性をもって実現できているのは、一本の木もムダにしないという志を同じくする人たちのおかげ。枝葉は地域のつながりを生み出す大きな原動力にもなっているのです」。

節や枝もムダにしない

スギ圧縮と
エンツォ・マーリ

2003年入社の大川伸吾は、現在「きつつき森の研究所」の所長として、そうした未利用材の活用を技術面から支える。

戦後、大量に植林されたものの、使い道がなく行き場を失った針葉樹、特にスギの活用促進は社会課題にもなっている。そうしたなか、飛騨産業では「柔らかすぎて家具には不向き」と敬遠されてきたスギ材を圧縮する技術を開発した。

「スポンジをギュッとつぶすように、木の繊維の密度を高めることで硬くなり、家具として使えるようになります」と説明する大川。もともと、岐阜大学・棚橋光彦教授のもとでスギ圧縮を研究していたが、飛騨産業が研究者を募集していると聞き、真っ先に手を挙げたという。入社するや、「圧縮と曲木を同時に行なう方法を開発してほしい」と課題を与えられ、材料の研究と加工設備の開発に取り掛かった。

「最初は全くうまくいきませんでした。本母専務や工匠の方々、曲木職人さんから助言をもらいながら、少しずつ糸口を見つけていきました。飛騨産業が長い年月をかけて蓄積してきた膨大な知識と経験に触れて、目からウロコの連続でした」。

この圧縮と曲げの技術を組み合わせて生まれた家具が、イタリア人デザイナーのエンツォ・マーリ(1932-2020)がデザインした「HIDA」シリーズだ。

マーリが描いたデザインは、スギの特性や技術の限界を超えていた。まず笠木の部分が通常の曲木では曲がらないほどの厚みがあること。その上、椅子の特徴であるテーパー(傾斜)のかかった形状にしなければならない。大川は「正直、途方に暮れました」と打ち明ける。

しかし、なんとかこれを実現しようと、約1年かけて500本近い試作を重ねた。そしてようやく、2段階に分けて曲げながら圧縮するという難しい技術の開発に成功したのだ。「新しいチャレンジは技術の可能性を開いてくれる。大変ですが、難しければ難しいほど実現できた時の達成感も大きいです」。

スギ圧縮とエンツォ・マーリ

国産スギが循環する未来

現在、大川率いる同研究所が力を注いでいることのひとつは、ブナやクリといった広葉樹を効率的に乾燥させる技術の実用化だ。飛騨産業の製品の多くは外国産の材料を使っているが、近年のウッドショックで価格が高騰し、安定して手に入れにくいという課題を抱えている。大川は、「あまり使われてこなかった国産の広葉樹を活用する可能性を見つけたい」と語る。

かつては燃料として人々の生活を支えてきた広葉樹。しかし現在、伐採地の多くは国有林となり、伐採はできない。成長の早いスギやヒノキと違い、家具として使える太さになるまで約100年もかかるため、計画的な植林は難しいとされている。

山にある未利用林を活用したいところだが、それはそれで課題が多い。特に乾燥の方法だ。山林の広葉樹は丸太の径が小さいため、大きな径の木材に向けた従来の乾燥技術では反りや割れが発生してしまい、使い物にならない。

大川は、「国内で中小径木の乾燥は十分に研究されてこなかったため、まだ技術の醸成がありません。飛騨産業は先行して取り組んでおり、実用化に向けた手応えもあります」と自信を見せる。

もうひとつは、木の樹液を活用する技術。県内の企業から蒸留機械を譲り受けたことをきっかけに、社内で商品化の可能性を探った。その結果、スギやヒノキから抽出した精油を使ったアロマ雑貨と、樹液の蒸留水を使った農業資材「いくまい水」を展開していくことになった。

アロマ雑貨は、精油のほかディフューザーなどのアイテムをそろえて、すでに飛騨産業の直営店やオンラインストアで販売し、好評を博している。いくまい水は、農作物の生育促進といった植物の活力液のようなもの。NPO法人や企業の協力を得て、さまざまな用途に試用してもらいながら、実証を進めているところだ。

「いくまい水は苗木を育てる時にも役立つ可能性があるんです」と大川。例えば、いくまい水で育てたスギの苗木を大きくして、材は圧縮したりセルロースナノファイバーとして使い、残った枝葉は蒸留して再びいくまい水にして、次の苗木を育てる。

これまでお荷物扱いされてきた国産のスギが、森の循環に寄与することを意味する。大川は、「その循環が飛騨産業の技術研究からスタートした、という世界観を築くことが私の夢なんです」と語った。

国産スギが循環する未来

時間をかけ、
自然とつきあう

今、日本の森で問題になっていることは、もとを正せばすべて「人間の仕業」だ。本母は語る。「例えば、花粉を出すからといってスギを嫌う人がいますね。でも、人間が大量に植えたスギを誰も伐らなくなったから、生存するために彼らは必死になって花粉を飛ばすんですよ。すべて人間の仕業で、木は悪くない」。

だからこそ、人間が一度入った森はきちんと手入れを続け、適切なかたちで使わなければならない。木を育て、伐採して、活用し、また育てるという循環を無理なく回していく。飛騨産業が目指す理想の姿だ。

本母が入社した頃、1960年代の飛騨産業は海外輸出向けの家具を血眼になって大量生産していた。心の中で「これでいいのか」と疑問を抱きながら、木材の有効活用について考え続けてきた。「自然とのつきあい方は、永遠のテーマです」と本母。

飛騨産業では10年ほど前から、高山市からスギ伐採林約6ヘクタールを借り受け、「きつつきの森 荘川」として森づくりを進めている。ブナやミズナラのドングリを拾い、苗木を育て、農業高校の生徒たちと植林する。自然に親しみ、森を観察しながら再生していくことが大事だ。本母は、「時間のかかる取り組みですが、将来的には、木材の資源を回収するところまでできたら」と話す。

もちろん本母自身もこの森づくりに参加している。時間が許す限り、地域の人たちと一緒に森に入る。事務所に彼の姿が見えなければ「森にいる」。それが社内の暗黙の了解だ。そんな本母は日に焼けた額を撫で、窓の外を見つめながら、こう語った。

「飛騨産業が、ほかとはひと味違う企業になるためには、自然とのつきあい方を考え、感謝をし、環境整備を含めた幅広い活動を続けていくことが大事。言葉だけではダメです。実際に体を動かして、地域の人たちと一緒にやる。それが森と歩む、ということなんです」。

その視線の先には、豊かな日本の森が広がっている。