事業/取り組み

時を継ぐ

伝統家具の継承

ウィンザーチェアについて

ウィンザーチェアはもともと英国で17世紀後半から作られはじめた椅子です。1720年には米国に渡り、簡素で実用的な家具としてオフィスから家庭まで広く普及しました。日本では、1853年ペリーの浦賀来航がきっかけで生まれた洋家具製造の流れと、その後1960年に柳宗理らが監修した白木屋の英国展でウィンザーが注目され、富裕層を中心に一気に広がったという説があります。

  • ウィンザーチェアについて 1
    1970年代よく売れたウィンザーチェアたち
  • ウィンザーチェアについて 2
日本のウィンザーと飛騨産業

飛騨産業は、日本におけるウィンザーチェアの歴史と深い関わりがあります。歴史をたどるとウィンザーチェアは3つの系譜に分けることができます。最初に生まれたのは、彫刻技術が際立つ“マニュファクチュアウィンザー”。江戸末期、開国の港となった横浜には多くの洋家具が持ち込まれました。廃仏毀釈により多くの仏師・宮彫師らが職を失うなか、彫師たちが日本の宮彫技術を用いた洋家具づくりを新たな職としたのが発端です。その次に、民芸思想に共鳴して生まれた“クラフトウィンザー”。中でも北海道民芸家具は、民芸運動の正当派に位置し、今日までその思想を引き継いでいます。そして飛騨産業により、1950年から対米輸出向けのOEM生産として“マスプロダクトウィンザー”が生まれました。
やがてOEMで培われたノウハウは、日本人の暮らしや体型にあった商品や、蓄積された技術を活かした開発へと発展していきます。その結果、日本人の感性に合わせたデザイン開発を通じて技術力は一層高まり、今日の飛騨産業の礎となっていきました。

  • 当時の製作風景(横置きロクロ機)
    当時の製作風景(横置きロクロ機)
  • 対米輸出向け製品カタログ
    対米輸出向け製品カタログ

その後2009年に、飛騨産業が北海道民芸家具を継承したことで、私たちは3つのうち2つの系譜を併せ持つこととなりました。クラフトウィンザーの持つ「思想」と、マスプロダクトウィンザーの生産を通して培われた「技術」という2つの異なる生い立ちです。そして2014年、北海道民芸家具が生誕50周年を迎えたことを機に、飛騨産業が受け継いできた心と技の原点を、あらためて見つめ直していきたとの思いから、今日まで多様に派生してきたウィンザーチェアの原点ともいえる1脚、「オリバーゴールドスミスチェア」をリプロダクトしました。
オリバーゴールドスミスチェアはウィンザーチェアの発祥であるイギリスにおいて、250年前に作られた椅子で、劇作家のオリバー・ゴールドスミスが所有していたことからそう呼ばれています。現在はヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵されている1脚がオリジナルで、ウィンザーチェアの原点として世界からも評価を得ています。

  • ヴィクトリア&アルバート博物館にてオリジナルの寸法を実測
    ヴィクトリア&アルバート博物館にてオリジナルの寸法を実測

ウィンザーチェアをはじめとした伝統家具の技術や思想をしっかり受け継ぎ、さらに現代の目線で革新へとつなげること。その取り組みを支えているのが、創業以来大切にしてきた飛騨の匠の心と技に他なりません。今後もその歴史と精神を脈々と受け継ぎ、真摯にものづくりの心と技を磨いていきます。

  • 完成した「GOLDSMITH WINDSOR」
    完成した「GOLDSMITH WINDSOR」
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