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エンツォ・マーリが取り組む
100万の1万倍もの日本の杉の木

Enzo Mari / エンツォ・マーリ(1932~2020)

 

1932年ノヴァ―ラ生まれ。1950年代にデザインというコンセプトの誕生に大きく貢献し、以降アーティスト、デザインの思想家、プロダクトデザイナーとして幅広い活動を精力的に行なった。生涯の作品数は1,600点を超え、その内29点はニューヨーク近代美術館の永久所蔵品に選ばれており、最も著名なイタリア人工業デザイナーの一人である。また1973年製作の磁器21点は、国立工芸館に所蔵されている。
飛騨産業との取り組みは2003年からスタートし、2005年のミラノサローネでは20アイテム以上のプロダクトを発表、その後も2008年までプロジェクトは続き、50アイテムをこえる商品開発を実践した。
2020年に永眠する。

 

 

2005年のミラノサローネにて「エンツォ・マーリが取り組む100万の1万倍もの日本の杉の木」の展覧会をおこなう。展覧会のパンフレットにはマーリの直筆で、タイトルとともに飛騨産業との出会い、そして彼の想いが鋭く端的に描かれている。以下同展のパンフレットを掲載する。

 

2年前、それぞれのプロジェクトの夢に差し迫る死について語った講演後のことでした飛騨産業社長の岡田さんが、日本の豊かな森林の中にある、彼の工場で生産される木製家具のためのプロジェクトを依頼してきたのです。

 

その森林には杉の木が密生しています…100万の1万倍もの…。絶滅の危機にある他の品種のために、これらの木々を間伐する必要がありました。しかし、糸杉の一種である杉の木は、極度に柔らかく、また節が多いので、家具にはあまり適していないのです。岡田さんは大学と協力し、杉に必要な硬さを与えるプレス技術を開発しました。また、節については、望むことも…思うことも私と同じで、木の節は美しく、尊重されて然るべきと考えていました(私は彼を抱きしめたい衝動に駆られました。50年も仕事をしていますが、やっと、翌朝までに仕上げなくてもよいプロジェクトを依頼する人物にめぐり合えたのです)。

 

 

工場では有能な200名もの職人が働いています。もはや大都市では失われてしまった偉大な日本文化の魂が、今なお彼らの心の中に深く染み透っています。最新テクノロジーを備えながらも、ムクの木はいまだに主に手作業で加工されています。中国はすぐそこ…。造形的・社会的なクオリティーを失うことなく(可能な限り)生産コストを下げるのは、生命線の維持に繋がります。今日、このように人間を大切にするエコロジーは、森林エコロジーに劣らず重要だと私は考えます。

 

 

職人の技量は、その時代に必要な工具・方法・技術を考案し…実現する…能力の上に築かれています。今は死に絶えた、過去の技術や儀式から生まれた昔のフォルムを、飽くことなく複製することが職人の腕の良さ…と考える人については何と言ったらいいのでしょう…。ここに、幾千もの可能性の中から、二つの工具と柄杓を紹介します。それといっしょに、飛騨の職人が木をプレス加工するために作った型も…。

 

 

先に古い日本の魂について述べましたが、次のような典型的なイメージは、それを充分に物語ってくれるでしょう。桂離宮の内部…クオリティーは決して民俗的なものではありません。こうした建築が近代ムーブメントに大きな影響を与えてきたことは誰もが知るところです。

 

 

魂を取りもどすには、スタート地点に立ち戻らなければなりません。この私の見解を日本語の音綴帳の何ページかを使って説明したいと思います…もちろん、ヨーロッパにも音綴帳はあるのですが…。

 

このプロジェクトを振り返って

岐阜県のオリベ想創塾が2003年秋に主催した高山でのマーリの講演会で、氏の思想に共感した当時の社長(現会長)の岡田は、「私たちが気づいていない日本の美を杉で表現してほしい」と家具のデザインを依頼しました。しかしながらマーリからの返答は「なぜ豊かな自然を破壊してまで新しい製品をつくるのか?」という問いかけでした。

 

日本において杉は、古来より神社建築や船や樽、工芸品などさまざまな用途で使用されてきました。また戦後は国策として、戦争で荒廃した森林に成長の早い杉を大量に植林していきました。ところが安価な輸入木材の台頭により杉は山に放置されるようになり、その結果山は荒廃し、土石流の発生や花粉症の増加など様々な問題を引き起こしてきました。このような熱帯雨林とは異なる日本の森林事情を、私たちはマーリに丁寧に説明しました。その上で、柔かく家具には不向きとされていた杉を圧縮技術を用いて硬度を高める研究を進めていることを知らせました。その結果マーリは、飛騨産業が杉に取り組む理由を理解し、「それならば」と漸くこのプロジェクトはスタートしたのでした。これに関連してマーリは「杉を活かすことが人々の生活にとって倫理的に正しいアクションであるならば、この杉に備わる“節”にこそ正真正銘の選り抜きのブランドに値する価値があるのではないだろうか」とも語っています。

 

プロジェクトに先がけ、マーリは日本には素晴らしい文化があるのに、なぜ西洋の真似をしようとするのか?と疑問を呈し、本物の日本の美について考えるように私たちに語りかけました。また流行を追うことを忌み嫌い、今の飛騨産業にとっての“現代的なもの・最先端”とは、過去の日本文化をはっきりと認め評価することであると力説しました。そこで私たちは、京都や奈良を訪れたり地元高山の建築を観たりして、マーリがアーキタイプと呼ぶ日本の原点について考察を深めました。
プロジェクトが始まると、まずはマテリアルリサーチを進めることになりました。マーリはマテリアルからしかモノは生まれないと語り、素材の段階からオリジナリティーを追求することの重要性を示しました。そこで私たちはプロジェクトの初期にマーリが作成してくれた資料に従い、素材の研究にも力を入れました。ミラノと高山、お互いを行き来した直接の打合せは何度も行われ、そのタイミングに合わせて、HIDAのデザインチームは膨大な資料やマテリアルサンプルを抱えてマーリとの打合せに対応しました。

私たちはマーリが自らの思考法について語るときによく描く渦巻き図に倣い、プロジェクトのテーマを中心に据え、マテリアルリサーチをはじめ、技術、コスト、美しさ、メンテナンス性など、実現に必要な項目を放射状に置き、渦巻きを描くようにプロジェクトを発展させました。このようにマーリとデザインチームは、職人の仕事に宿る偉大な日本の伝統を基礎に置き、優れたかたちの記憶を継承するデザインをまとめていきました。

 

こうして1年半の歳月をかけ、現代的な感覚において解釈された美しい数々のプロダクトが生まれ、「エンツォ・マーリが取り組む100万の1万倍もの日本の杉の木」と題し、ミラノ・トリエンナーレでの展示会で発表することになりました。

あれから18年(2023年現在)の月日が流れ、私たちをとりまく状況は大きく変化しました。リモートやAIの技術が進んだ今だからこそ、マーリが用いた音綴帳が示すように、手、目、足の存在を強く意識しなければならないと考えます。マーリの思想は今なお私たちの中に息づき、道標となっているのです。

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